テレビを観ていると突然「ヘリが墜落:元NBAプレーヤー コービー・ブライアント氏ら9人が亡くなる」というニュースが飛び込んできました。
20年以上ファンだった私が感じたこと、そしてコービーが切り開こうとしていた未来&伝えたかったことについて綴ります。
この記事の目次
想像したことすらなかったスーパースター:コービー・ブライアントの突然の死
私は1995年頃に初めてロサンゼルスでマジック・ジョンソンのプレイを観たのをきっかけにNBAを観るようになりました。
コービー・ブライアントがNBAに入った1996年以降、レイカーズでシャキール・オニールとプレイしていた時期から一番好きなプロバスケットボール選手でした。
オリンピックでも活躍、人気も実力もトップクラスでまさに「スーパースター」で夢を現実に変える人でした。
コービーは数年前に引退してからも、大阪なおみ選手の全米オープンに顔を出したりして話題になっていましたので、まさか突然亡くなるなんて想像もしませんでした。
ニュースを観た時は、テレビの前で「嘘だ!なんで!?」と叫んでしまいました。
娘思いの優しいパパでもあったコービー。バスケ普及のみならず、MambaSpirit、MambaMentality、女子スポーツを応援するため活動を始めたばかりだった
LA Times (レイカーズ地元のロサンゼルスタイムス)やABCニュースなど、様々なアメリカの報道を読んだり観たりしていたのですが、知れば知るほど、引退後のコービーは精力的に新しい活動を始めたばかりで、全ての活動が明るい未来へ繋がるものばかりだったとわかりました。
オバマ元大統領も追悼のツイートを発表しています。
オバマ元大統領「コービーはコート上のレジェンドであり、有意義な第二の人生をまさに始めたところだった。(娘の)ジアナを失ったことは、親である私たち(オバマ元大統領とミシェル夫人)にとってとても悲しいことだ。(このように悲しく)考えられない一日に、ミシェルと私から(コービーの妻)ヴァネッサとブライアント家へ愛と祈りを捧げます。」
(キョウコ訳)
このツイートを読んだ時に、「コービーは本当に亡くなったんだ」と実感したと同時に、コービーが未来へ向かって新たな活動を沢山始めていたことを知りました。
ヘリコプターに搭乗していた理由は、次女のジアナを連れて、ジアナのバスケットボールの試合に行こうとしていたから。そして、その場所はコービー自身が作ったバスケットボールアカデミー「Mamba Sports Academy」だったこともわかりました。
Black Mambaはコービーが現役だったころからの愛称で、体の大きな毒蛇です。しなやかで強い身体能力を持ったコービーならではの愛称でした。
その愛称からMamba Sports Academyにコーチや娘の友人と両親を伴って、バスケを教えに行こうとしていたコービー。
将来有望なNBA候補の男子選手だけではなく、将来WNBA(女子のプロバスケリーグ)で活躍できそうな女子選手にも力を入れていました。コービーの子どもたちは、4人とも女の子で、次女のGiannaは将来有望な選手でした。
コービーの引退後の活動を知れば知るほど、バスケ界全体を盛り上げようとしていただけではなく、男子ほどの成功が難しいと言われている女子のプロスポーツ選手の育成にも力を入れていたことがわかりました。
女性でスポーツをしている人は世界に沢山いるのですが、男子のようにプロで活躍できる世界となると、女子バスケのプロリーグであるWNBAですら厳しいのが現状です。
昨年、テニスの全米選手権を訪れて小学生の女の子からインタビューされた時も「尊敬している選手はセリーナ・ウィリアムスだよ」と女子選手の名前をあげていたことを思い出します。インタビューしていたのが小学生の女の子だったので、女子スポーツ選手として将来の希望が持てるように、との思いやりを感じました。
コービーなら必ず新しい未来を切り開いただろうと思うので無念でなりません。
また、Mamba Spirit & Mamba Mentalityを広める、として、沢山の講演会も行っていました。
コービーがこれまでの人生で学んだ人生経験や考え方を皆で学んでMambaのようにしなやかに強く生きていく、というものです。
YouTubeなどに沢山動画が残っているのですが、中でも「人それぞれbox(与えられた人生)は違うから、みんな同じことをやろうとしなくていい。それぞれのboxで輝けばよい」と言っていたのが印象的でした。
バスケの花形プレーヤーであったコービーみたいな人生もあれば、人それぞれ人生は違って、自分の人生の中で輝けるようにしよう、と言っていました。
コービー・ブライアントが乗っていたヘリコプター墜落の原因は天候か:霧でほとんど周りが見えなかったという現地の証言
コービーとGiannaが乗っていたのは、プライベートのヘリコプターでコービーの所有物です。
当時、墜落した場所付近の町で目撃した人の話では、霧が濃くて墜落地点のキャニオンは町からも見えず、突然ヘリが低空に現れたと思ったら霧の中に消えていったとのことでした。
事件のあった日は、現地の警察などのヘリコプターも発着が禁じられていたということなので、このブログを書いている時点では、なぜヘリコプターを出す許可が下りたのか疑問に思っています。
ヘリコプターの機体本体に問題があった可能性もありますが現時点では不明です。
(追記:数日後のCNNのニュースで知ったのですが、コービーの機体にのみ発着の特別許可がおりていたそうです。特別許可がおりていたため、コービーのヘリコプターは不安定な気候の中出発してしまいました。)
コービーの突然の死で気づいた、今日が当たり前ではないということ
今までも、「明日が当たり前のように来るわけではない」というようなことを何度か体験してきました。私自身が阪神淡路大震災を体験した時や、アメリカに住んでいた頃に911の同時多発テロが発生したこと、突然うつ病になったことなどです。
ですが、時が経過しているうちに「毎日が続くこと」を当たり前のように考えるようになり、コービーのようなスーパースターもずっと元気でいることを信じていました。
たまに聞く「コービーが大阪なおみを全米オープンで応援!」といったニュースを聞く度に「引退後も元気に活躍しているんだ」と嬉しく思っていたんです。
そんな日々が突然終わりを告げて、私が大ファンだったコービーは、娘のGiannaとバスケ仲間の大切な人たちと共にいなくなりました。
ショックを受けたままの私はというと、その日も用事があり、それをこなさなければならなりませんでした。他のファンの人達やNBAプレーヤー、親しかった人たちも、気持ちと体が追い付かない日だったと思います。
事故を知った一日、まだ亡くなったことが信じられないのと強いショックが入り混じった複雑な気持ちだったと同時に「昨日に戻りたい」と何度も思いました。
でも、「どんなに沢山の人が願っても時間だけは戻ってこない」ということを強く実感した一日でもありました。
一日一日が限られた人生の時間のうちの大切な一日であること、今この瞬間に生きることが大事だと改めて思いました。
コービーが最後の日まで、前へ前へと進もうとしていたことを知り、私もMamba Spiritと呼ばれる精神を受け継いで、一日一日を大切にすると決めました。
コービーが事故で亡くなったことについて、正直言うと今も「どうして?」「なぜ?」という気持ちの方が強いです。
「さようなら」というにはまだ辛く、この悲しみはずっと消えないと思いますが、 コービーが伝えたかったMamba SpiritそしてMamba Mentalityについて、コービーのスピーチの映像が沢山残されているので、学んでいきたいと思います。
最後に、コービーとGiannaのご家族、そして亡くなられた方々のご家族にお悔やみ申し上げます。コービーのことは一生忘れません。